藤沼 秀男のホームページにようこそ。
私は1898年(明治28年)創業から100年余を経た、ひな人形専門屋をリタイアした、もと店主です。
45才の頃から妻と二人で40ほどの国を旅しましたが、今はインドネシアのバリ島のクタ海岸に近い路地道を入っ
て2軒目にオープンエァーのバリ風建物10棟が、高い石塀に囲まれた植民地時代のところがあり、そのうちの1つ
網代壁で2階造りの古い建物(蚊帳と蚊取り線香必需品)を税・心付け込み月1万円ほどで1棟借りています。 周囲は
バリの人たちの街。西隣のジャワ島からの移住や、出稼ぎの人のバラックアパートの多い所。私達も屋台で食べたり
自炊したり、殆ど現地の人と同様の生活。ハロー・アパカパール(元気か)と近所の人達と仲良く暮らしています。
私夫婦は店を息子に任せ、年寄り仕事にとひな人形の着物を手縫いをする内職さんを数軒持っています。一般家庭
にミシンの無いことを知り、手縫いの面倒な仕事をして呉れる人に、シンガー・ソーイングマシン をプレゼントし
たから、皆さん大喜びで子供のシャツなどを縫い始めました。仕方がないからまるで講習会を始め、マシンの糸の取
り付け方や上下の糸の調整の仕方を教えました。針の上部にある針金のスプリングをトバシて糸を通してしまう。
「ティダ(駄目)」手縫いした時、親指の爪で「シゴク」のを実際にやって見せて、スプリングの役目をやっと納得。
毎日ミシンにオイルを一滴いれ、毎日ミシンを磨いている。
私夫婦はビジネスでバリに来ているのでは無く、二人共病気で保養に来ている。貴方達と仲良く暮らせれば楽しい。
お給料も少し多くあげれば、お互いに幸せになれる。ということを良く理解して貰って話合いで工賃を決めました。
実は 当時は大工の日給が200円では幾らが妥当か見当もつかないから。しかし喜んでいるのだから高いのでしょう。
妻は裁断や縫い方を教えるのに袂や襟の言葉が判らずたいへんな苦労、結局は彼女らに日本語を教えたり、子供達の
風邪の面倒まで看ながら居着いてしまい、3年半ほどは夫婦で殆どバリ島暮らし。日本には病院に行く時だけしか帰
りませんでした。
その後、妻が亡くなり私は一人になってしまいましたが、内職さんが居ますので止めることが出来ず、二番娘の応援
を得て、日本とバリ島を往復しながら続ける事にし、いつの間にか11年が経ってしまいました。孫娘も母と一緒に何
度もバリに来るのですっかり慣れて、中学生の頃には学校の合間に一人で来て、夏休みは居続け、ほかは1週間ほど
バリに居て、空港まで送って行くと一人で日本に帰りました。夜中の1時にバリ空港を発てば朝の8時には成田空港
ですからインドネシアは意外に近いのです。今は大学生になり日本生まれのバリ育ちなんて冗談を言っています。
このコテージの日本人は殆ど私達だけ、あとはどういう訳か!各国の医療機関や病院の機器のメンテナンスなど放射
線関係の技術者が保養に来ています。そのほかはバリの物産買い付けの人達。たいてい男一人か同僚と二人で1ヵ月
ほど居ります。奥さまを誘うと嫌と言って別のところに行ってしまうそうです。お湯が出ない安宿ですから当然のこ
と。他は各国の元気な大学生グループが休暇中に来て、きまって夕方は中庭でおおはしゃぎ、でも嫌がるおゲストは
一人もいません、一緒にビールを飲んでいます。
ゲストは殆どの人が皆リピーターなので顔見知りの仲良しです。 世界は広いのに 同じ人に2度3度 希に4度も遇
えるコテージがあるなんて夢みたいでとても楽しい。私は大変気にいっています。
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FUJINUMA Hideo's While Traveling Heh?
私と妻は40程の国を訪問しました。約200ヵ国の僅か20%ほど。しかし各国の人々に会い、見たり聞いたりして。感心
したり、驚いたり、エー? と思ったことだけ を書きました。 故にガイドブツクで紹介されている事は書いてありません。
December 10, 2008 追加更新. http://www.fujinuma.com/profile/
March 15, 1998. ホームページを作りました。