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平安時代の初め頃、お人形のことを「ひいな」、お人形遊びを 「ひいな遊び」
と呼ぶならわしでした。 当時は、上巳(じょうみ)の節句といって、三月の初め
の巳の日に、無病息災を願ってお払いする行事が貴族の間で行われていまし
た。 この日には陰陽師(おんようじ)(占い師)を呼び、天地に祈りを捧げ、紙や
植物で作った簡素な人形(ひとがた)・形代(かたしろ)にお酒や供物を添えて、
川や海へ流すのです。 昔の人々は、災厄を自分に変わって人形(ひとがた)
に負わせることができると信じていました。この風習は、民間にも広く行われて
いて、今も神社の大祓(おおはらい)の人形や各地の雛流しの行事に面影を残
しています。 この形代の行事と、ひいな遊びとがいつか一つになり、次第に形
が整えられて、雛祭りとなっていくのです。

上巳(じょうみ)の節句はやがて、三月三日に行われるようになります。
当初は、現在のような雛祭りとは異なり、貴族たちが、おさけをのみながら詩
歌の遊びや闘鶏(とりあわせ)を楽しむ日だったようです。 江戸時代になり、
泰平の時代の中で、人々の暮らしも落ち着き、年中行事も盛んになってきま
した。
上巳の節句はいつしかひいな遊びととけあい、江戸時代の中頃からはすっ
かり女の
子のための雛祭りとなりました。 徳川家の大奥でも京都御所のお節句に習
い、 盛んに雛祭りを行うようになりました。
京都から伝わったこの行事も次第に武家から町人へと広がり、地方へも
伝わっていきました。 こうして宮廷から幕府へ、また武家から町人へと広が
った雛祭 りは、地方毎の特色をも生みながら、次第にひな人形を発達させ、
今日も伝わる日本独特の優美な行事にと育っていったのです。
人形も、ひな道具も、年々、意匠を凝らしたものが生まれ、元禄(1688〜
1704)以降から文化文政時代(1804〜1829)にかけて、江戸文化の爛熟
と共に、雛祭りはそのピークを迎えます。
ひな段も、三段、五段、七段とその数を増やしていき、大都市には、市が立
ち、庶民もそれぞれの雛祭りを楽しみました。
明治維新の五節句廃止で、雛祭りは一時衰えますが、やがて復興し、ます
ます盛んとなり、海外からも注目されるほどになり、現在に至っています。
◆正月品は11月1日から〜ひな祭節句品は1月5日から〜男の節句品は3月1日から売り出します。◆












挙。沼人形本店
栃木県佐野市
天明町2719
電話0283-22-1175
配達につきお詫び
日曜日の配達はどな
た様でも出来かねま
すので何とぞご了解
お願いいたします。
土曜日のお買上げ品
の品揃え、と 当日の
商いで人手と車が不
足でどうにもならない
のが実情です。
平日の配達は一番目
のお宅でも10時半に
なってしまいます。
店員9時出勤、品の確
認 配達予定時刻の電
話をして10時発車です
一車に六軒ぶん程積
みますのでご遠方宅
では夕方になります。
誠に申し訳ありません